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政和元年 年が明けた 元号もかわった このときは旧暦なので現在の二月過ぎ 
耀州から徽宗帝に祝いの初窯の皿が届けられる
初釜は旧暦一月10日すぎ


 皆は爆竹をならし開封(かいふう 北宋の首都)の人々は喜びに沸き返った



2008 2/23

宋という時代 地味で質素で堅実というイメージは現代の私達にはあまり伝わっていません
日本の鎌倉という発想は当時の開封が人口40万 世界で二番目の大都市であったそうであまり比較にはなりませんが
特段の高い精神性を宮廷では求められていた模様

いわゆる渋好み 通好みであったことはおどろく事ではありません 
どの窯みても地味だなア と思います 

明中期後期 清の輸出磁器のようなちゃらちゃらした現代ブランドまがいの染付け 色絵 琺瑯彩も
それはそれで美術品として工芸品として高い評価をうけて構わないと思います 
当方においても商売からすれば在庫潤沢 仕入れが簡便 商品立派 おまけにブランドはすでに確立とくれば悪くいうとバチが当たります 
しかし そんな感性でこれら地味めな物は到底評価できない

徽宗期 官窯の特段の精神性
それは押さえた美 取り去った美 つまり禁欲の美に感じます
裏の官窯 月に3つ作られた帝の手慰み
 これとて祈りを込め愛したものへささげられます

後世 徽宗帝はローマ ネロ皇帝の如く私利私欲におぼれ 美の 芸術のとりこであったと書かれます
国民は貧窮にあえいだと書かれます

そんな方にはこの皿を見て欲しい
なんの変哲もない柚が掛かる
しかしヘラ一本で土くれがこんな素晴しいものに代わる たいしたもんです

で こういうたいしたものは従来人の目にふれないんです
誰も知らないとなぜかなるのです
 
太古石収集に狂った徽宗帝と書かれます
ですから この皿を見た後 私達は皆 彼の時計は間違いなく皆が飛びつくブランド品ではなかった 
そう 感じるようになります

(1000年当時 京 平安京は第5位 17.5万人 日経新聞 2008 1/28 オピニオン より米歴史研究家 ターシャス チャンドラー)


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