2,014/06/10
哥窯は語る 北宋はこうして滅んだ
磁器を眺めることは良いものです。しかし、時と場合により、とても気が重くなります。
今回は、その、特段と気の重くなる、お話です。
以前、北宋時代、皇帝の神宗と哲宗が暗殺されたと書きました。
汝窯は語るです。左 汝窯 哲宗副葬品 中と右 欽宗副葬品
今度は、徽宗皇帝と欽宗皇帝の壷です。北宋は、というか欽宗は陥(おとしい)れられた。徽宗帝も同じく。
徽宗墓、欽宗墓副葬の壷を見ながら、お話を進めます。
今度は、多くが二重着色貫入磁器、いわゆる哥窯に語ってもらいます。
この哥窯は、龍泉窯のものでは、ありません。念の為。
徽宗さんには、徽宗官窯タイプ、単貫入磁器も、焼かれました。
結果、国を奪われた皇帝 南宋高宗
結論は、金軍と高宗は、結託して、兄欽宗を捕らえ、政権転覆を図る。高宗は皇帝になるはずが、読みを間違える。
法の官鬼はたくらみ。姦計におとしいれられること。高宗はこのとき、軍事の総帥。国も滅ぶ訳です。
国の上半分は100年近く、金に蹂躙された。自身は、南に逃亡。1年半近く、皇帝にもなれず、国も興せない。
南宋末も、余談ですが やはり読みが甘い
読みが甘いのは、金を元と結託して滅ぼすと、今度は、自国を元に滅ぼされる。
明が興るまで150年近く、元に支配される。脇が甘い。中華思想なのかな。
靖康(せいこう)の変 参照
このクーデターに、深く関わるのが、徽宗の兄、哲宗の離縁された妻、孟氏。
孟氏は唯一、皇族として生き残り、のち南宋に行き、高宗を皇帝と認め、垂簾(すいれん)政治をした。
宣仁太后と孟氏
この孟氏は1092年、16歳で哲宗に嫁ぐ。哲宗は17歳。このとき孟氏を選んだのが宣仁太后。
宣仁太后は徽宗、哲宗の父神宗を38歳で暗殺(毒殺)した、張本人、その人。守旧派、旧法党の権化。
嫁いだ翌年、1093年、後ろ盾の宣仁太后は没する。やがて哲宗は側室に引かれた。人情ですね。
えき庭の獄 参照
哲宗はそんな訳で、24歳で、やはり毒殺された。首謀者は、元妻、孟氏ですね。バックは旧法党。
今なら、既得権益に100年しがみつく自由党のち自民党と財界ですね。(戦前の財閥含む)
哲宗のあと、徽宗さんが選ばれますが、推薦したのは、神宗の妻、向太后。中立派のもよう。
欽宗と徽宗のその後
南唐の皇帝李イク。北宋の初め、宋に国を差し出します。
欽宗、徽宗皇帝も同じく、結構いい暮らしを、金でした模様。
なぜかというと、まず大切な人質であったこと。死んでは困るのです。
実に長生きをしています。牢獄の生活にしてはです。結果毎年、大変なお金を払います。
ですから、女性達が、身を売らされたことも、まったく、真実ではない事になる。
多くの人々が奴隷(生口)として送られた。これは仮の王宮の使用人ではないのか。
奥さんとはけんか?
うさぎの香炉、宋銘が焼かれたけい氏。彼女の副葬品に口舌がでる。
早く、帰りたい。話が違うという訳です。とらわれて、自殺したと言われます。どうも違います。下の法参照
左 とらわれのきさき けい氏 中と右 けい氏 うさぎの耳が付く副葬品
中の法は義財旺 旺喜事 旺天徳 害病臨 害口舌 害死絶 害災至 苦失脱 苦無嗣
病臨 死絶からは病を得て死ぬということ。自殺を図り、2度目に死んだは、やはりうそとなります。
ちなみに黒ゆうの香炉の法は奥さん存命中なので義大吉 害災至 苦失脱 苦劫財。 けんかをまだしていません
プロパガンダ
これらは、当時の宰相、秦檜(しんかい)の統治政策。高宗も、いやと言えない。すねにきずがあります。
金茶ゆう 猛り狂う三爪龍